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  • 2019.10.10 Thursday
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切支丹の里へ 「外海」*出津救助院

     どろ1
     救助院の当時のままの石畳


     しすた1
     シスター

出津の教会堂の近くに、ド・ロ神父の建てた救助院がある。
1879年(明治5)長崎市の外海地区に赴任した神父は、
働き手を失ったり、職のない女性たちが自活するための授産施設「出津救助院」を
つくり、機織り、裁縫、製パン、そうめん、スパゲティなどの技術を教えた。
ド・ロ様のパンやスパゲティなどは、長崎の居留地の外国人に人気があったそうだ。
いまは、建物と当時使っていた道具類が見学できる。

隣接するド・ロ神父記念館には、神父ゆかりの品々が保存展示されている。
神父が故国フランスから取り寄せたオルガンも修理されていて、
シスターが毎日、訪れた人々に賛美歌を弾いてくれる。

シスターのお母様がド・ロ神父と一緒に働いていた方で、
ド・ロ様の思い出をよく話してくれていたそうだ。
「とても優しい方だったときいております」とシスター。

シスターの歌ってくださるラテン語の賛美歌は、カソリックの礼拝では
よく歌われる曲で、信長や秀吉が聴いた、ラテン語の賛美歌の一つと言っても
おかしくないそうだ。
有馬のセミナリヨで天正少年使節の四人が習っていた曲でもある。
オルガンの物寂しげな旋律とシスターの澄んだ歌声に、
長崎の切支丹時代にいるような不思議な感覚になります。


しすた2  救助院
ド・ロ様のオルガン           救助院

            ぱすた
             パスタ工場




ちょっとSASEBOまで・・

  sasebo1

 sasebo2


SASEBO へいってきました。
艦船が入港しているみたいで、街に活気がありました。
仏壇屋さんのまえに人だかりが出来るのですぐに
船が入ったなと解るのだそうです。

四ヶ町アーケードを歩いていると
とてもインターナショナルな感じです。
聞こえてくる会話を聞いていると、何やら解ったような
解らないような、でも自然に自分も英語を喋っているような
感覚にとらわれます。
毎日聞いていたら、そうなるかもしれませんね。

  sasebo4  sasebo3

  sasebo5



切支丹の里へ 「外海」*出津教会堂

   出津教会1


   出津教会2


長崎市郊外の外海地区の出津に、
マルコ・マリー・ド・ロ神父が一生をかけて追い求め
築き上げた夢の土地があります。

信徒発見のプチジャン神父とともに、
パリ外国宣教会から遣わされて長崎に来たのでした。
信仰を守り続けて来た潜伏切支丹の人々とともに、
新しい信仰の時代をここ出津に築いて行ったのです。

この地には、いまもド・ロ様と呼んで神父の意思を継いでいる、
ド・ロ神父と一緒に働いた人々の子孫がたくさんいらっしゃいます。
一粒の麦の力は偉大です。


ド・ロ ド・ロ2 
ド・ロ神父               若き日のド・ロ神父


ド・ロ2

「外海」は「そとめ」
「出津」は「しつ」と読みます。

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