料亭春海の記憶を残す。

 

3月31日で92年の歴史を閉じる、長崎市鍛冶屋町の老舗「料亭春海」の記憶を撮影する機会に恵まれました。『「長崎料理ー百花繚乱ふるさとの味」脇山順子著2005年長崎新聞社刊』で料亭春海さんのお料理の撮影をして以来、色々な機会に料亭春海さんを撮影して来ました(料亭春海さんのHPの写真等)。今回閉店ということにあたり、料亭春海の佇まいを記録して、アルバムに残そうというプロジェクトのお話をKTNテレビ長崎のプロデューサーの山本正興氏から頂き、参加させていただきました。料亭の佇まいや撮影風景などは、KTNテレビ長崎の動画ポータルサイト「モッテレ」(ktn.co.jp)で4月下旬にUPされる予定です。ご覧になっていただければ幸いです。料亭春海は建物はそのままで(国登録有形文化財)、東京の「ミスルトウ」という人材育成・起業家育成の会社が管理し「教育コミュニティー施設」として今秋開設、との事です。創業者・出資者である孫泰蔵氏は、江戸時代に諸国から各藩の有能な若い藩士が集まって来て新しい文化を学んでいったこの長崎の地に、新しい「学びや」を創りたかったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一支国原の辻遺跡出土「人面石」

     

    壱岐の島 弥生時代の環濠集落より出土。
    魏志倭人伝に記された、「一支国」の王都に特定された遺跡。
    日本で唯一の人面石。
      
            ココヤシで作った「日本で唯一の笛」も出土。
    





対馬要塞「上見坂堡塁」

 
霧の中に上見坂(かみざか)堡塁はあった。
砲台とは軍事的用途がちがう。堡塁は敵が上陸してきたときに、撃退するための砦。
塹壕のような施設もある。直ぐ前の敵を想定して作られているので、緊張感がある。
口径15センチの火砲が4基据えられていた。





コウモリが3匹


霧の中に・・・





対馬要塞「深浦・水雷艇隊基地跡」

 

     

     

     
 深浦の水雷艇隊基地跡の護岸

深浦に隣接している、竹敷・海軍要港部跡

「竹敷海軍要港部跡の石造施設群」は(社)土木学会の「日本の近代土木遺産」でAランクに指定されています。

日清戦争のとき、海軍大尉・「鈴木貫太郎」(のちに海軍大将・侍従長・第二次大戦終戦時の総理大臣)は、水雷艇長として竹敷から出撃し、水雷艇隊として東洋最強とされた清の戦艦「定遠」を魚雷攻撃で撃沈。
また10年後の日本海海戦では、「鈴木貫太郎」はバルチック艦隊の進路に悩む「秋山真之」を激励、自らも第四駆逐隊司令として竹敷を出撃。バルチック艦隊の残存艦、戦艦3隻、巡洋艦2隻を撃沈する戦果をあげた。(対馬歴史観光ガイドブック)


美津島町・鶏知(けち)の住吉神社境内にあるロシアの機雷。
ロシア艦からの戦利品として、竹敷要港部から奉納されたもの。




対馬要塞「姫神山砲台跡」

 
対馬市美津島町緒方の姫神山山頂に、1902年(明治35)イギリス風の砲台が築造された。この年の1月には日英同盟調印。八甲田山「雪中行軍」も。
1905年(明治38)5月27日「日本海海戦」。日本以外では「対馬海戦」と言われている。

森の中の静けさの中に、要塞がねむっていた。
ラピュタのロボットが出てきそうな雰囲気。

     

石の回廊をたどって行く。

      


コウモリもひっそりと。
     

山頂に28センチ榴弾砲の砲台跡が。


海を見晴らすところに、観測所が距離を置いて2つ。正確な位置を測定するため。


鉄の覆いがあったのだが、いまはなにもない。


     

     麓の神社に奉納されていた砲弾。

濃い草の中に、歴史が埋もれています。





旧日本軍の爆弾11個海底より

 面高

11月16日、西海市の面高港に行ったら、何やら物々しい雰囲気が。
旧日本軍の爆弾が11個面高の港で見つかったので、海上自衛隊のダイバーがきて、引き上げているところだった。何日か前にも6個爆弾が引き上げられたそうだ。この港で。

面高



必中轟沈「震洋」旧海軍川棚臨時魚雷艇訓練所跡

 震洋1
この川棚小串郷の海で「震洋」の訓練がおこなわれた。

大日本帝国海軍は、太平洋戦争末期の昭和19年、長崎県川棚町小串郷に、臨時魚雷艇訓練所を神奈川県横須賀基地から移した。
「震洋」は250Kg爆弾を船首に装着し、敵艦に体当たりする木造の(ベニヤ板製)小型高速艇。ここ川棚の訓練所で3万人ほどが訓練を受け、西太平洋全域に配備され、フィリピン・コレヒドール島沖で米国艦船四隻を撃破したほか、各地で特攻攻撃を敢行し、隊員3千数百名が帰らぬ人となった。

震洋2
桟橋の跡。震洋が係留されていた。

震洋3
「震洋」の模型
艇長5.1メートル 重量1.4トン 馬力67 速力23ノット 乗員1名
船首に250Kg爆弾を入れている。乗員は後方の出っ張りから外を見て操縦。
5、6隻で出動し、教官は戦果を確認し帰港。

震洋7


震洋5
土台の石には裏も表も、特攻で亡くなったかたの名前がびっしりと彫られている。




旧海軍魚形水雷発射試験場跡

 0oo

1918年(大正7)長崎県川棚村三越郷の片島に魚雷発射試験場が設置された。
佐世保の海軍工廠で製造された魚雷を実際に発射し、魚雷の進行状況を観測所から観測し性能試験を行った。

魚雷3

魚雷4

魚5

魚6 魚7

魚9

魚8

魚10


沈黙の記憶に風が吹く



photo by jar




巡り来る夏 2009年8月9日

       原爆公園
 8月9日 平和公園 被爆64周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典会場 朝
      
ひまわり 平和像
被爆者のコーラスグループ「ひまわり」

線香 お参り

祈り 祈り祈りの朝

写真

千羽鶴

       母子像
 8月9日 平和公園

爆心地

ろうそく 
8月8日夜 爆心地公園




the ground zero

             爆心地

      500メートル上空の青に溶けて行くモニュメント


      爆心地

      屹立する廃墟




photo by jar©2009


      

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